肩書とはなにかー複数あってもいいし仕事に限らなくても。

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こんばんは、けいてぃーです。結構な頭痛にさいなまれていますが、今日はブログを書くぞ、とパソコンに向かっております。

肩書とは


肩書きは、地位や役職をという意味の言葉です。 よって「肩書きでは親友」という使い方は、正しいとはいえないと思います。 ・何の肩書きもない男・彼は社長の肩書きを持っているなど

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11162742441

私は一体何者なのか?

さて、本題ですが私はここ一年、”私は一体なんなのか”という疑問を抱えています。

昨年、長年自分の中心だったものから離れ、自分を表すものをうしないました。
バレエこそが自分を形容できる唯一のものだと思っていたのに、やめてしまい自分は一体だれなのかわからなくなってしまいました。

そんなとき、父親に相談したとき、あるアドバイスを受けたのです。

どこまでがバンドマンか

父はある質問をしてきました。
”けいてぃーは、どこまでがバンドマンだと思う?”
”バンドで飯を食ってる人?それともバンドを続けている人?”

私はこの疑問をずっと抱えながらダンスを続けてきた為、答えに詰まりました。

”俺はね、自分がそうだと思うなら、バンドマンだと思うんだよ”
”それで飯を食えている人なんてほんの一握りだ。でも、それがバンドマンであるかどうかということじゃない。だから、けいてぃーも納得できるまで続ければいいし、自分がダンサーだと思うなら、君はダンサーなんじゃないの? 綿日はバンドマンですって言ったもんがちだ”

私は長い間、それで生活ができているすなわち、めしっが食えている状態で初めて、プロのダンサーだ、と思っていたし、今でもそう思う節があるため、自分がプロのダンサーです、とは言えない日々でした。
プロの集団に属していたとはいえ、日本のバレエ界はそれだけで生活することはほぼ不可能。
その為、ずっとプロです、とは言えませんでした。
でもこの父との話で心が軽くなり、自分の経歴として話すとき、”プロのバレエダンサーでした”といえるようになったのです。

どこまでが、モデルなのか。
どこまでが俳優、女優なのか。
どこまでがスポーツ選手なのか。
その答えは自分の中にしかないのです。

何をもってその肩書を語るかは自分で決めればいい

名刺に書いたり、自己紹介の時に自分を表すものとして語る肩書。
それは他人からみてどうか、ということではなくて、自分自身がどうであるか、ということを言えばよい、そう父は私に伝えようとしてくれていました。

それでお金を得ているか得ていないか、それで生活をしているかしていないかではない。
自分を、自分の人生を表すためのもの、それが肩書である、と。

もちろん肩書を言う以上はそのスキルに責任は生まれると思う。
しかしながら、他人からみてどうであるか、という判断基準で自分自身を語るべきではないのです。
自分はもっと自分本位でいい、そういってもらった気がしました。


まとめ

・自分が思う自分のありかたを語るものが肩書である

会社で着くような肩書とは少し違った味かもしれない。
けれど、それでよいのです。

けいてぃーはこれからも、ブロガーであり、アルバイターであり、そしてなによりダンサーであり続けます。

おしまい。

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