けいてぃーです。
今回この池江選手の発表を受け、とても複雑に難しい気持ちになりました。
その思いをつらつらと書いていこうと思います。
まず、メディアのこと
メディアのあり方にはとても違和感を感じます。
視聴率をとるためでしょうか。
沢山の人に読まれたいからでしょうか。
”東京オリンピックは間に合うのか”
”生存率は”
そんな見出しが躍り、
コメンテーターたちが勝手に語り合い、
白血病克服者と謡い知らない人がテレビに映っている。
少なくともこの光景に私は、不快感を感じました。
たまたまつけたテレビがそれ。
みんな、ニュースの、視聴率の一つにこの発表を見ているのだろうか、と。
一人の少女の人生の出来事を。
他人だから、こうして、、、。と。
はっきりとこれという言葉に置換できませんが、
違和感があると言わざるを得ないのです。
ショックだったこの発表とご本人の気持ちが推し量れないほど切なかった
私はこの発表をみて、とても衝撃を受けました。
”金メダル候補”の選手。
それに向けて、努力されている姿を目にしてきました。
なぜ、彼女が。なぜ、いま。
彼女じゃなければ病気になっていいということではないけれども、神様とは、運命とは、残酷だ、時を選べないのか、などと他人の私も考えていました。
そして、彼女は。本人である彼女は、どんな思いなのであろうかと思うと、胸が痛くて締め付けられて、たまりませんでした。
本人ではない周りで、勝手にいろんな話が飛び交う。
きっと彼女も目にするんだろうな、と思うと、複雑にならざるを得ません。
ぴったりくる言葉、この思いにあてはまる言葉を見つけるのはとても難しいことのように思えます。
メディアで放映されるメリットは、助ける方法を知る機会を多くの人に与えられること
特にテレビという媒体のメリットは、
”多くの人の目に触れる”機械を作れるということ。
その力を使ってほしいのは、憶測の議論ではなく、助けられるかもしれない可能性作りだと、私は思います。
池江選手だけではなく、誰かを助けられる機会を作るのは、まず知ること、なのです。
今回のことを通し、骨髄バンクについて改めて調べ考えようと思いました。
同じように考えた人は多いと思いますし、現に電話が殺到したという話もあります。
気になった方は日本骨髄バンクのサイトを見てみてください↓
https://www.jmdp.or.jp/k
何を言いたいかというと、憶測の議論より伝えるべきことに目を向けたいということ
憶測の議論は何も生まないです。
彼女の、気持ちを想像し、発言しても彼女の助けにはなりません。
だからこそ、病気をしって(病気も人によってそれぞれですが。)、自分にできることを知ること、
これが私たちができることなのではないでしょうか。
憶測の議論と、知ること。
この二つは似ているようで違うことなのです。
病気と闘っている人に、祈りを。
うまく日本語にできませんが、
I Play For You.
おしまい。