3.11 あの日からの八年。

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こんにちは、KURUMIです。

私は毎年、自分以外も観れる場所に。この日の思いを書くということをここ数年続けてきました。
今年は、ここに。


あの日、私は中学二年生でした。
委員会の仕事が終わり、帰ろうと職員室にじょうろを返しにいこうとしていた時でした。
廊下の電気が急にぶっちんという音をたてすべて消えました。
誰だよいたずらしたの、、、と思ったその時。
大きな横揺れ。
近くの自動販売機が見たこともないように揺れていました。
ただ事ではない。そう感じ一斉に昇降口へ。
少ししか開いていないドアにぶつかりながら必死に外に出ました。

続く余震。
見える煙。

部活事に集められて顧問の先生と集合。
中学3年生が卒業したあとで2年生の私たちが年上だったけど、
私は二年生でただ一人怖くて泣いていました。
委員会の少しの仕事のためと思って外にでていたからコートもなくて、たまたましていたマフラーだけで震えて外にいました。

近くの職場で働いていた母が迎えに来てくれて、
在宅で働いていた父が妹を迎えに行き、
スーパーに買い出しに行ってくれて家族がそろいました。

停電した家。
少し明るいうちに毛布を自分の部屋から持ってきて、少しまだ暖かい保温がきれた炊飯器のごはんにゆかりをかけて、食べました。
そのあとは買ってきてもらったお弁当を食べた、んだったと思います。
非常用の懐中電灯を天井に向けてつけて、
ラジオを聞きました。
部屋は暗いのに、怖くて眠れませんでした。
ラジオから流れる、亡くなられた方の人数、行方不明の方の人数がどんどんと増え、時々くる余震。
家族でいたのに、不安で怖くてたまらなかったことを8年たっても覚えています。



あの日から、8年。
私は、思い出せないことも増えてきました。
今でも、揺れるときドキッとします。
でも、あの頃と同じ怖さか、と言われると少しずつ変わっています。
時が経つ というのは痛みを和らげるのと同時に、
記憶を少しずつ薄くしています。
人は、忘れてしまう。
そのことに時に絶望を覚えるとともに、救われているのかもしれません。

でも。
あの日が過去になっていない方もたくさんいらっしゃる。
私が忘れて過ごす日も、その日に立ってらっしゃる方がいる。
あの日。東北から離れた私でさえもあんなに恐怖を感じていたあの日。
目の前で津波被害に、
原発被害の中に、
いらした方の思いを思うと、胸が痛くて、言葉になりません。

中学の卒業旅行でみた奈良の大仏。
あの大仏様の前で、
あぁこんな高さの津波が来たのか、と絶句しました。
あの日の映像を見るたびに、どうにもできない気持ちにさいなまれます。


人は、忘れてしまうから。
だからこそ、せめてこの日は。
誰かの思い出すきっかけになれば。
私の思いだす時間になれば。
そういう思いで、毎年書いています。


今日だけ、なんてどれだけ虫のいい話なのか。
考えます。沢山考えます。
正解はないし、私にできることなど、本当にないかもしれない。
でも、
それでも、
あの日を忘れずに、
できることを、と考えることを辞めてはいけないと思います。


Play for Tohoku.
あの日を思い、祈りを捧げます。





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